青山真治監督作品『AA音楽批評家間章』新潟上映によせて
             
                -------- 『間章』あれこれ -------(ブログより)

                             映画『AA』新潟上映実行委員会委員長本間亮

至って無邪気な人だと思う。

俺は今思う、間さんは俺達の育ちの悪さや粗野なところやバカなのに「知覚の扉」を
開けたような振る舞いに言い様のない憧れがあったのではないだろうか。
憧れというといささか間さんに失礼なので嫉妬というか「何故お前達はそれが分かるんだ?」みたいな
アフリカの選手がマラソンを走ったら恐ろしく早かったみたいな。
「科学的なトレーニングって何?」みたいな。
ヨーロッパのサッカーとブラジルのストリートサッカーの違いみたいな。
間さんはベガーズバンケットの「ハードトリートメント」のライナーで書いている
「新潟というカッタるい街がある、日本中で新潟のような街を探すのは簡単だ、でもそこにベガーズのような連中がいるだけでも新潟をいささかでも面白くしているんじゃないだろうか」とまさにそういう事だったんだろうなきっと。
間さんは魂や感性や呪いや狂気や全ての感情を込めて闘って来たのに、どこかフラチで軽くてバカで粗野なのにどこか突き抜けているベガーズがそこにいたって事なんだろうな。
「バカとはさみは使いよう」で「こいつら使い方によっては」と思ったのかも知れない。
まさにその通りになりました、お陰で地獄をまっしぐらです(笑)

もちろん俺は間さんを尊敬して止まない。
業績が素晴らしいのはもちろんだが間さんの人の許し方が不思議だしカッコいいのだ。
表面的には絶対に許してないがふとした時に「あいつはどうしようもないからさ」と独り言のように言う。
阿部カオルが死んだ夜、間さんとベガーズは小樽でライブだった。
ライブが終って主催者の家にいた時に東京から阿部カオルが死んだ知らせが入った。
沈痛な表情で「阿部が死んだ、自殺だよ」と静かに言った、それから夜の高速を走った、ルーリードを聞きながら
その2ヶ月後間さんも逝った。
全ての関係者に会う理由もないのに会った。
いつもように帰る時「今度は正月に来るから」と言って別れたのが今生の別れになった。
12月11日の夜遅く「章が章が」とおかあさんから言葉にならない電話が来た。
病気にでもなったかなと思ったけど12日に「亡くなった」と連絡が来た。
どういう事なんだろうと思った、悲しいとかそんな感情は出て来ない。
「また冗談を」てな感じ。

とにかく破天荒で常識はずれなのだが誰よりも常識的なところは一杯あった。

ありとあらゆる音楽を教えてもらい、映画の見方を教えてもらい、悪い事もいい事も教えてもらった。

あんな人はいない・・・

Last updated  Apr 19, 2008 01:57:02 AM

 

 

 

 

 

狂った世界

 

どうもおかしい。
昔から分っていた事とは言え最近は異常だ。
このタイミングでの『AA』上映。
きっと何かあるのんだと思う。
現在の若者達にぜひ『AA』を見てもらいたい。
エンターテイメントとは無縁の映画ではあるけど長い人生で7時間くらいは時間を
つぶしてもいいだろう。
間章は最近どうも学問になったり伝説の人のような立場になる場合が多いが俺にとっては
亡くなって何年経とうが間章は生々しい存在だ。

いい年をして食汗をかき、敵と分っていても必死で話し、女には滅法弱く、妙に育ちが良く
マージャンや賭け事が強く、俗物で、しかし音楽の指摘は適格で言葉に出来ない事を言葉や文章にした。
とんでもない偉業に間違いない。
偉業の大きさに比べあまりに評価が低いのが悔しい。

ジャンキーで女たらしでまともではなくて、間章を「狂ってる」と言うのは簡単だが
間章が酒を嫌いだった理由は明快だった
「だって飲み屋での酒のみは狂ってるよ、あのだらしない関係性は我慢ならないほどヘドが出る」という物。
とにかくダラダラした関係をいやがった。
いつの年だったかは忘れたけど「今年一番良かったライブは何?」って聞いたら「フェイセズだな」と答えた時はビックリした、ロッドスチュアートだぜ?間さんの口から出て来るとは思いもよらなかった、そういう人だった間章は。

けど間章とベガーズバンケットの関係はダラダラどころの騒ぎじゃなかったけど(笑)
まるで俺達は愛人のようだった。


Last updated  May 4, 2008 12:59:01 AM




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間章に捧ぐ
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 提供・亀田幸典