○○のお店 本文へジャンプ
西 堀 百 年 物 語
ギャラリー蔵織  蔵織をめぐって
 荘内屋しん
   手押しポンプ
この古いたてものはは私の曽祖父(斉藤家)が明治43年(1910年)に建てたものです。 曽祖父の隠居住宅(仕舞屋)にするつもりだったのかも知れませんが、娘新婚夫婦(祖父母)が住み、母は大正のはじめにここで生まれました。
 商いは他の場所(上大川前7)で廻船問屋をやっていましたので、いずれにしろ、商い兼用の建物ではなく蔵付きの住宅として建てられています。 その後、大正12年(1923年)に佐藤シン(庄内屋シン)さんにかわり、昨年まで佐藤家が83年間お住みになり、平成17年(2006年)に縁あって私にめぐってきました。 建立から97年経っており、あと3年で百年ということになります。

 この建物は斉藤家、佐藤家が丁寧に住んでいましたので、比較的良い状態で残っており、昭和30年(1955年)の新潟大火にも燃えず、関東大震災(M7.9)にも匹敵する、昭和39年(1964年)の新潟地震(M7.5)にもほとんど無傷で耐えてきました。
 ここ数年は、新潟市役所が近い西堀界隈も背の高いマンションが乱立して、コンクリートの谷間にあるという感じになってきました。

古い建物は建っていた場所の地力(ちりょく)を尊重し、昔の人が笑いながら“地固め唄”を歌った、その場所で、年老いた建物の気風の流れを良くしてやれば、元気になって活躍することも出来ます。

そんなわけで、もう少し長く花を咲かせようと、今回、お金とエネルギーをなるべくかけずに補強、手直しし、  “ 西堀百年物語 Craole 『蔵 織』 ” として出発いたしました。

正面にあったガレージは減築し、アバウトパブリックスペースとして雨水利用の池を設け、近隣の人たちのマイ金魚やメダカが泳いでいます。 壊れた井戸ポンプがあったので、歩道近くに延長し、震災用として“手押しポンプ”に変えました。 日常では夏散水、冬消雪に使います。赤錆まじりの井戸水のため池には使えませんでした。
 二階天井や見えない押入れの壁などには断熱と地震補強工事をしましたが、見える他の土壁はなるべくそのままにして、京壁を塗り直したり和紙を貼っただけです。 大震災がおきても、外へ逃げ切る時間は十分にありますが、避難した後で崩れたらあきらめましょう。 文化物が長く残るということは神話やエコロジーに反することがあり、人間に災いをもたらします。

 奥に二階建ての土蔵があります。正面の扉はすでにありませんでしたが、白蟻の被害にもめげず、全体はしっかりと残っていました。 さらに荒れた奥庭がありますが、おいおい開墾して菜園庭園にしたいと思います。
  Gallery + Space for rent + Live + Yawa + Cafe

と欲張って、ゆるゆるとやってゆきます。

  蔵 織』は和語で『くらおり』、クレオール語で『クラオール』と発します。

Here  now〈いま-ここ〉の生活のただ中で雑多な関係性を肯定し、たて、横、斜め、裏の糸を織るように息抜(生き抜)いてゆきたいと思います。

Craole 『蔵 織』 
                     CEO(Chief Enzyme Officer)

                   志賀恒夫

蔵織トップページへ