庭の黙示
2004/4/08
「東京の庭付きの一軒家を借りていた男が死後数日たってから発見された」と聞くと何を感じるだろう。大都会の孤独死だ、とまゆをひそめるであろう。
この男は私の東京時代の友である。葬儀後に連絡を受けたのだが、一人で倒れていたと知らされ言葉を失った。
谷中の江戸っ子だった彼は金がなくても気前は良く、酒はとことん飲んだ。飲めば誰にでも少し絡んだが不思議と嫌味はなかった。東京で勤めたのちフリーのカメラマンとなった。私は病で故郷に帰ったが、数十年たっても会えば屈託のない青春へ瞬時に戻った。
庭付きの借家に二回泊まったことがある。一度目は奥さんと赤ちゃんが居た。二度目は小さな菜園と猫がいた。
育ての母との深い確執があった。いつも大きな淋しさを抱えて焦っていた。気前のよさと深酒はその裏がえしだった。
淋しさを埋めてほしかった彼は、なぜか彼より深い哀しみを持つ女性を好きになった。二人ともどんな風に愛を表せばよいのか戸惑っていた。いつとはなく、奥さんと子供は彼の姓のまま一駅離れて暮らしていた。
飲んで帰宅後、庭の見える部屋で倒れた。最近見かけないのはおかしいと飲屋の主人が訪れた。自殺ではなく、淋しさと旨い酒と共に運命の病に引き取られて逝った。
廊下やガラス戸は少し傾いていたが、古風で小津映画のような借家には豊かな広い庭があった。酔えば草木は容赦なく繁茂し、慈しめば実りをくれた。そして何よりも土は彼を惑わさなかった。
朝日と夕日と雨音と、飼い猫たちも起こしたであろう。そういうものたちと別れを惜しむように何日も何日も一人静かに息絶えていた。その生は何の修辞も無く、その死は窓越しの庭の草木に見つめられ、その土草にゆっくりと同化していた。
そう思うと、友の死は、コンクリートの四角い病室で何本ものチューブに絡まって迎える最後より、明らかに自然で人間的な姿だったとは言えるのではないか。
志賀恒夫(ロビンアートスタジオ代表)